最近読んだ本

  • 村上春樹 / 海辺のカフカ 上下
     実はこの作品って村上春樹の作品の中では、印象が薄くてあんまり期待せず読み始めたんですが、これが実に素晴らしかった。中心にある田中少年のエピソードが素晴らしいことはもちろんですが、中田さんをめぐるエピソード、星野青年の世界の見え方の変化、カーネル・サンダースの口上、雨月物語源氏物語夏目漱石についてのうんちく、大島さんのマツダロードスターなど見どころ(読みどころ?)がいっぱいです。旅をしているときの、なんとなく漂うような心情、悪と直面したときのひりひりするような感覚、この世ではない場所へ行ったときの疎外感とある種の達観したようなあきらめたような感覚、単にリアルというだけでなく、そのような感覚を感じることができる作品でした。
  • ヘミングウェイ / 移動祝祭日
     ヘミングウェイが最初の奥さんとパリで過ごした日々を書いたエッセイっぽい小説です。エッセイぽいからか、けっこう人物評がストレートで、これは他のヘミングウェイの小説が会話やしぐさの描写からその人物のパーソナリティや、評価、印象などを連想させることが多いのとは異なっているように感じました。パリでの生活はけっして裕福なものではありませんが、豊かな感性と、センスに満ちていて、けっして貧相な印象はありません。むしろ、優れた才能を持った人々との交わりという刺激に満ちたものであることが伝わってきました。もちろん資料的な価値も高い作品でした。
  • フィリップ K ディック / 流れよわが涙、と警官は言った
     終わり方が「え、終わったの?」みたいな感じです。そしてしばらく考えると、いろいろ「あぁ、あれはああいうことだったんだな」という具合になってきます。というのも書いてあるのは表面的な現象だけで、なぜそんなことになるのかという原因の部分の説明が一切ない構成になっているからです。考えようによっては不親切この上ないわけですが、しかし、だからこそ登場人物が感じる戸惑いと怒り、混乱を共有できるという、より大きなメリットもあるわけです。テクノロジーの進歩が作り出すシステマティックな社会はおそらく、実際はこの作品に書かれたようなものとは異なる部分もある(というか異なる部分の方が多い)でしょう。しかし、本質的な無機質な表面と、その背後にある不穏でいかがわしい印象、そして時に突拍子もないように感じられるところなどは、そのままなのではないかと思いました。
  • 上森亮 / アイザイア・バーリン 多元主義の政治哲学
     ここで言われている多元主義とは、単純に価値観が多様であるということではありません。私たちが積極的な評価を与えるいくつかの価値、たとえば「公正」「正義」「自由」「平等」などについて、私たちはなんらかの統一的な落としどころがあるように考えがちです。つまり、よい価値がすべて実現された世界――ユートピア――は(現実的には難しいにせよ)実現可能であるという考え方です。しかし、このような積極的価値は一貫性ある一つの価値体系のなかに収めることはできない、それら価値の間には矛盾があるということが、ここでいう多元主義の中身です。したがって、私たちは正義を実現しようとしたときには平等をあきらめなければならないし、平等を実現しようとしたときには正義をあきらめなければならないといった場面があるということをバーリンは述べています。このバーリンの主張は、今、非常に切実なものになっていると思います。私たちが積極的な評価を与えている価値の一つに「寛容」があるわけですが、しかし世界にはISのように寛容であることが難しい相手が実際に存在しているわけです。同時に、バーリンの主張は倫理学における不完全性定理のようなものであり、そのようなシンクロニシティも興味深いポイントです。
  • 柊 サナカ / 谷中レトロカメラ店の謎日和
     日常のミステリーもののラノベ。といってしまうと身もふたもないんですが、カメラ好きにはあれこれのカメラが出てくるので、それが楽しいです。個人的に気に入ったのは、主人公の女性がカメラ好きの人々と交わっていく中で「人はなぜ写真を撮るのだろう」という素朴な疑問を抱き、それに対して一定の答えを見つけ出していく部分でした。この作品に出てくるようなカメラは、フィルムの装填も面倒だったり、ピント合わせや露出も難しかったりで、スマホやデジカメが当たり前になっていると、本当に面倒臭いです。しかし、その手順を一つ一つ追っていく過程で、人生の中で出会う一瞬の大切さ、美しさに気づかされることも事実です。私もまた時間やお金に余裕ができたらフィルム式のカメラで写真を撮りたいと感じました。
  • 村上春樹 / 約束された場所で Underground2
     アンダーグラウンドの続編で、こんどはオウムの信者側にインタビューしています。読んで思うのは、新興宗教に引っかかる人ってやっぱりちょっとおかしい人なんだなということです。まぁだいたい新興宗教に引っかかる人は、純朴でいかにもいい人って感じの人が多いわけですが、純朴でいい人がみんな新興宗教に引っかかるわけではないわけです。他にも物質主義的な幸福感への疑念なども、共通していましたが、それだって世の中の多くの人は多少なりとも持ち合わせているものです。だから、誰でもひっかかる可能性があるみたいな話も聞きますが、おそらくそれはないですね。やはり新興宗教に引っかかる人には、ある種の共通性があります。その共通性をうまく表現することが難しいのですが、やはり願望に対する固執、しかも自分ではどうしようもない願望(たとえば世界平和とか)に対する固執はひとつの特性のように感じました。そして新興宗教に引っかかりやすい人と、プロ市民的な活動をしがちな人とはけっこうカブっているようにも思いました。
  • 京極夏彦 / 塗仏の宴 宴の支度 宴の始末
     ながかった。なんかけっこううるさい作品でした。小説の世界というのは、アクション映画のように人が動き回って問題が解決するようなことは少ないはずなんですが、この作品はとにかくみんな入り乱れて暴れまくって解決したような感覚が強かったです。彼の作品の中ではあまり好きなタイプではないなと感じました。一方で、謎の解決自体はおどろきがあり、なかなか面白かったです。