最近読んだ本

  • 松本清張 / 熱い絹 上・下
    なかなか壮大な物語で、ミステリーとしての謎解きより社会情勢や戦争にまつわるあれこれの問題への言及が、目玉という感じです。ただ、その分、問題が解決しても意外感はあまりありませんし、文中のヒントを論理的に総合することで答えが一つに絞られるというようなミステリー的な謎解きもありません。まぁこういう場合ってこいつが怪しいよねとか、こいつらって血縁関係とかそんなんじゃないのと思ったら、それがそのまんま論理的裏付けもなく当たっているという感じです。一応、ストーリーとしてはシルク王失踪の真相を明らかにするということになっていますが、それよりも伏線の茶畑のはなしとかの方がよっぽど面白いです。噛ませ犬的なポジションのタイランドの警察もかなりバカっぽくて、タイの警察ってここまでアホじゃないやろと読みながら思ったり。まぁそんな感じでした。壮大さと重厚さで雰囲気はけっこう名作なので、ストーリーや謎解きがそれほどでもなくても楽しく読めます。

  • 宮脇俊三 / 時刻表2万キロ
     鉄道マニアならぜったい面白いであろう、乗りつぶしのお話。乗りつぶしっていうのは、ようするにJR(当時は国鉄)の全線を乗るっていう趣味なんですが、この趣味の難しさは本線からちょろっと毛が生えたようにある盲腸線をコンプリートすることにあります。まぁ基本、そういう線の終点には普通の人にはまったく用のない施設があるか、何もないかのどちらかですからね。しかも、そういう線はダイヤもかなりスカスカで一本逃すとそれこそ半日待つことになったりするわけです。この本は、まさのそういう乗りつぶしの最終局面を描いた話で、努力の結果得られる成果がわずかであることと、その意味が一般人からすればまったく理解不能という点で、かなり面白いです。旅と旅行は違います。旅行というのは、ある種の再現ツアーみたいなもので、旅行ガイドとか、テレビで紹介されたことをなぞって、みんながやってることに参加できたことを喜ぶという野次馬的な行為です。したがって、訪れる場所は有名な観光地、食べるものはよく知られた名物ということになります。誰かに○○に行ってきたよと自慢したときに、相手がそれを知っていて羨ましがってくれなければ意味がないのです。それに対して旅とは、発見と探求が目的です。もちろん、日本には前人未到の地はありませんが、バイクにテントを積んで苦労してたどり着いた場所、あるいは18切符で必死で乗り継いでたどり着いた場所には、実際にたどり着いたものだけが経験できる喜びがあります。それを味わうことが旅です。旅とはロマン的なものなのです。したがって18切符でたどり着いた場所を友人に話して「そこなら新幹線で1時間だね」とか「どこそれ?」というリアクションが帰ってきても関係ないのです(ちなみに私は旅行は嫌いで、旅は大好きです)。この小説の筆者がチャレンジしていることも、まさに旅以外の何物でもありません。実際、この作品には乗りつぶし達成後の後日談が収められていますが、そこに描かれた感情こそが旅を終えたものの心だと思います。

  • 有栖川有栖 / 46番目の密室
     ミステリーにおいて密室殺人というのは、いわば花形のジャンルなわけです。この作品はまさにその密室殺人に焦点を置いた内容でした。この作品の特徴としては、まず密室にするからくり自体にはそれほど大きなウェイトはおかれていません。むしろ、この作品の特徴は密室殺人というある意味、面倒臭いことをする必然性が問題になっています。一方で、そういった論理的な整合性はまぁいいとして、こういう本格ミステリーの常として動機においては、一応筋は通っているものの、そんなことってあるんかいなという一抹の不可解さというか、共感できなさを残す印象もありました。

  • 有栖川有栖 / 菩提樹荘の殺人
     けっこう前に読んだまま、感想を書き忘れていたのでけっこう忘れちゃってるんですが、4つのストーリーが収められていて、どれもなかなか納得のいく仕上がりでした。同時にけっこうさらっと読めるラノベ的な雰囲気です。まぁコスパはいまいちという感じかな。

  • 村上春樹 / レキシントンの幽霊
    短編集で、全体的に孤独感が強いストーリーが多く収められています。ほかの短編集に収められている村上春樹の短編にはコミカルな印象があったりするんですが、この短編集はかなりシリアスです。ふざけたタイトルのトニー滝谷も、読んでみると笑えるというよりはとても寂しい気持ちになりました。日常というのは、誰でも比較的せわしなかったり、目先の問題を解決しなければならなかったりするものですが、そういうせわしなさによって覆い隠されているというか、紛らわされているパーソナリティに気づかさせてくれる作品群でした。

  • 森博嗣 / 幻惑の死と使途
    これはみごとなトリック。なるほどと思わされました。シリーズの中では謎解きの要素が一番強いとおもいます。

  • 森博嗣 / 夏のレプリカ
     このタイプのミステリは、寒い(多数)か、膝を叩くほど素晴らしい(少数)かのいずれかで、まぁまぁのデキとかはありません。これは後者だと思います。このタイプの小説が寒く感じる理由は、レトリックのためのレトリックに感じられる点にあると思うんですよね。文章をこねくり回す必然性がないというか。その点でこの小説はあまり装飾的でない文章でつづられていることが評価を高めている理由だと言えるでしょう。同時に、このタイプのミステリは状況を素朴に描写すると成立しにくい面があり、シンプルな文章でこのジャンルのミステリを成立させているということはすごいことだといえると思います。

  • 森博嗣 / 冷たい密室と博士たち
    非常に順当な解決でありながら、そこへいたる道筋はなかなかに楽しめます。

  • 森博嗣 / 笑わない数学者
    オリオン像の謎はまぁそうだろうなという感じで、ミステリー小説にありがちなトリックです。途中の数学パズルも面白くて、ちゃんと考えるとけっこうサクッと解けます。そして、事件とは別に謎が残されます。その謎について、いろいろ仮定して考えてみるのがなかなか面白かったです。

  • 森博嗣 / 詩的私的ジャック
    彼の作品のなかでは、ちょっと動機が弱いというか、ピンときませんでした。トリックについてはなるほどという感じですが、トリック自体はそれほどポイントではありません。

  • 森博嗣 / 封印再度
    密室トリックは難しかったです。謎解きのくだりを読んでも、実際にそんなことがおこるのか、ちょっと疑わしい感じがしました(特に密閉性)。それよりも、この作品は小説的な部分が面白いです。基本的にこのシリーズの主人公の犀川教授は、なかなか共感できるキャラクターです。たとえば人を教育することは究極的には不可能であるという考えはよく理解できます。知りたいと考えていない人間、知的好奇心を欠く人間にいくら素晴らしいことを教えても本人にはその価値は理解できません。逆に知ろうとしている人間は、下手くそな教育法であっても、そこから何かを学び取ろうとします。教育には教育者の側にはいかんともしがたい部分が確かにあるのです。もうひとつは「無駄なこと、役立たないことこそ、価値がある」という考えです。多くの人は価値とは有用性だとプラグマティックに考えるわけです。しかし、そこには問題があります。たとえば自動車は移動手段として有用だから価値があると考えた時、より便利で快適な移動手段が出てくると自動車は無価値なものとなってしまいます。有用性に価値を見出す考え方は、実は対象自体に内在する価値を見出していないともいえるわけです。自動車に内在的な価値を見出す人は、それが分かりやすい有用性を持たなかったとしても、それを価値あるものとみるはずです。たとえば建築物に凝ったデザインを施すこと、芸術、荷物も人もロクに載らないスポーツカー、一部の学問分野などは何の役にも立ちません。しかし、それでも一部の人々(変人ではありますが)からは熱烈な愛を注がれています。価値にはプラグマティックな側面があることは否定しませんが、一方で有用性や効率性とは無縁の内在的な価値というものもあるのではないでしょうか(そして、おそらく後者の方が崇高です)。そして、この作品で非常にぐっと来たのが、シンプルな人生を生きようとしたのに、人と関わることでどんどん人生が複雑になっていくという話です。ただ複雑さの質は多種多様です。犀川教授のように恵まれた複雑さを手に入れることができる人はいないと思います。シリーズの中では主要人物のパーソナリティや感情が複雑に交錯するところが面白かったです。

  • 鮎川哲也 / 黒いトランク
     これはすごい。ミステリが今ほど量産されていなかった時代だからこそでしょうが、トリックが惜しみなくつぎこまれています。トランクのすり替えトリックはもちろんですが、ほかにもアリバイを作るための時刻表トリックなどもあって、一冊の中で解き明かされる謎の量がハンパないです。いまだとひとつのトリックで、長編ミステリ一冊を作る感じなので、とにかく贅沢なつくりです。トリックは緻密かつ複雑なので、途中に出てくる図や時刻表をよく見ないとなにがなんだかわからないと思います。一方で、こういう本格的なトリックを用いたミステリにありがちなことに、犯罪の動機はイマイチ説得力がありません。複雑なトリックを用いた犯罪って、単に犯罪を起こす動機だけでなくて、わざわざめんどくさいことをして人を殺す動機も必要だと思うんですよね。そこらへんも「え、そんな理由で、ここまでめんどうなことするかなぁ」という感じではあります。しかし、そういった難点も、圧倒的なトリックの完成度の前にかすんでしまうという感じです。動機の弱さが気にならない理由は、心理的には十分な説明でなかったとしても、犯罪を遂行する上での必然性という観点からはトリックを用いる理由が存在している点も挙げられると思います。

  • 有栖川有栖 / 双頭の悪魔
     これは面白かったです。クローズトサークルものですが、情報通信技術が発達した現代において、このジャンルのミステリーが成立するためには、まぁ現実にはありえないような奇天烈な状況が成立する必要があります。この小説のポイントは状況が奇天烈なのはおいておくとして、そのクローズトサークルの構造自体が複雑であることです。そして、その構造は無意味に複雑なのではなく、事件の背景、トリックの成立などにしっかりと関わっています。同時に、作中で作者から読者への挑戦が何度かありますが、実際に物語の中に回答するためのピースがそろっており、謎が明らかになった時には「あぁ、あれはそういうことだったのか」という驚きがあります。こういう驚きは私たちがミステリーに求めているものであるわけで、この小説はそれにしっかりと、いくつものポイントで答えてくれる素晴らしさがありました。このミステリーを読んで感じたことは、動機と手段を区別することの重要性です。私たちはついつい、犯人を捜すときに動機と手段をごっちゃに考えてしまいます。でも、いくら動機が整っていても実行不可能な人は実行しません。まぁわかっててもついついごっちゃに考えてしまうんですがね。