Kurt Rosenwinkel/The Next Step

 Kurt RosenwinkelにはDeep Songsという名作があって、けっこう愛聴していました。彼は音使いとかコード進行が変わってて非常に新しくてモーダルなんですよね。私は持っていないのですが、楽譜集に掲載されている楽譜には調号が記載されていないらしいです。まぁつけようがないっていうことでしょうね。とはいえ聴いているとテーマには一応キーらしきものがあるように感じる曲もあるんですが、むりやり特定のキーでフレーズを解釈すると逆にややこしくなると言うことでしょう。Deep SongsとThe Next Stepの一番大きな違いは編成にあります。Deep Songsはピアノでブラッド・メルドーが参加していますが、The Next Stepではコードを弾くことができる楽器はギターだけです。鍵盤楽器というのは音楽において、よくもわるくも大きな存在です。鍵盤楽器は左手でコードをキープしながら右手でメロディーを弾くことが比較的簡単にできます(まぁコードやソロの内容にもよりますが)。しかし、ギターはコードとメロディーを同時に弾くことはけっこう難しいです。そこでギタリストは他にコードを弾くことができる楽器があると、たいがいソロの時はコードはその楽器にまかして自分はソロに専念し、バッキングにまわったときはコードをキープすることに専念するというアプローチをします。逆にコードを弾くことができる楽器が他にいないとギタリストはソロを弾きつつも自分がコードをキープしなければいけないので、けっこうツラい立場に立つことになるわけです。実際、ギタートリオにはベースの代わりにオルガンが入っていることが多いです。とはいえ、キーが明確でダイアトニックなコードばかりで構成された楽曲の場合、ベース音がなっていればそれなりに聴こえないこともないわけです。しかしカート・ローゼンウィンケルのようなモーダルな音楽の場合、ベース音だけだとかなりワケが分からないことになるだろうなと思ったんですが、The Next Stepでは見事にソロとコードをいったりきたりしながらモーダルでメロディアスな音楽を作っています。メロディアスというとガッと泣きのメロディーがはいったり、熱く盛り上がったりを想像する人もいるかもしれませんが、むしろもっと繊細なイマジネーションをフレーズに投影するような都会的で淡々としたメロディアスさが美しいです。ここらへんのセンスはブラッド・メルドーに通じていますよね。彼も必要以上に耽美的や叙情的にならず、淡々と時には幾何学的にさえ思えるようなアプローチで豊かなイマジネーションを表現してきます。というわけで多くのギタリストにとって鍵盤楽器の欠如は、バックでコードが鳴らなくなることを意味し、コードを意識したフレーズを弾くよう意識しなければならないという不自由さにつながります。しかし、The Next Stepでは鍵盤楽器の欠如によって、カート・ローゼンウィンケルは逆に洗練されたイマジネーションをより自由に表現しています。とこんなに鍵盤楽器について書いた割には、貼り付ける動画は編成にピアノが含まれている演奏だったりして。