原発の事故を通じて感じたこと


 これから先、原子力発電で電力をまかなうことはますます難しくなっていくだろうなと感じました。

 原子力発電所がこれまでの地震のなかで最大のマグニチュード7.9を想定して設計していたことは合理的だと思います。もっと大きな地震がくる可能性があるという主張もありうるでしょう。そして、実際にそういう地震がきました。しかし、そのロジックで行けばマグニチュード8にそなえれば9が来るかもといい、9に備えれば10が来るかもということになります。このような不毛な論争を解決する方法は過去の地震の中で最大のものに対応できるようにすることです。しかし、今回、現に過去最大の地震よりさらに大きいマグニチュード9が来てしまいました。今までの方法で耐震性能を見積もるならば今後はマグニチュード9が基準ということになります。これは今まで30倍以上の耐震設計をするということになります。さらに過去に学ぶということでは今回の事故では今まで想定していた倍の圧力が格納容器にかかったようです。とすると、これからはフェイルセーフの意味で格納容器に対してこれまでの倍の圧力テストを求めるような流れになるかもしれません。安全設計はけっこうなことですが、同時に確実に原子力施設の建設コストに跳ね返ってくるでしょう。

 これらは確実に電気代の上昇という形で我々の生活に跳ね返ってきます。原子力の魅力のひとつは低コストでエネルギーが調達できる点にあったわけですが、その魅力は失われつつあるというわけです。まぁそれでもたとえば太陽光発電などの自然エネルギーに比べればはるかに安いコストでエネルギーを提供できるはずですが。

 原子炉自体はよかったけど東電がダメだったと東電を批判する人もいるようです。このような批判の裏側には今回の事故はハードウェアは問題がなかったけど、ソフトウェアに原因があった。だから、ソフトをすげかえれば原子力発電をいままでどおり続けられるのだという含みがあるように思います。しかし、東電はそれほどダメな組織だったのかは微妙です。たしかに会見などで不手際はありましたが、滑舌よく話したり素人にも噛み砕いて話すのは東電の義務といえるのかは微妙です。もちろん、そうした方が印象はいいので東電のメリットになることは事実ですが、情報をいい形で伝えるのはあくまでもマスコミの仕事のように思います。東電は限られた選択肢のなかでできることを努力していると思います。東電を解体して、新たな組織をつくったとしても結局、似たり寄ったりの組織か、東電より劣る組織しかできないように思います。しかし、そうやってこれまで以上に安全なしくみを作ることができたとしても、今後、原発を受け入れる自治体は少ないでしょう。巨大組織に対する不信感は皆がなんとなくもっているもので、完全に払拭することなどできません。現実的には原発をこれから作ることはきわめて難しいと言わざるを得ません。

 もちろん、自然エネルギーに全面的に切り替える方向に舵を切るという選択肢もないわけではありません。しかし、この選択肢は少なくともそのような発電方法が大幅に普及するまでは電気代の大幅な高騰につながるはずです。そして、普及した後もおそらく原子力をメインのエネルギー源として使用しているときほどの安価な電気代は望めないでしょう。しかも、自然エネルギーは日照や風向きなどに左右される非常に不安定なエネルギー源です。すなわち、私たちには四つの選択肢があるように思います。

  1. 事故のリスクを受け入れ、これまでと同様の安全基準で原発を作る。
  2. 事故のリスクを受け入れるが、これまでより低いリスクですむよう高い安全基準の原発を作る。ただし、電気代は少しばかり高くなる。
  3. 事故のリスクを回避し、自然エネルギーに切り替える。電気代は大幅に高くなる。
  4. 今ほど電気を使用しないような社会になっていく。

いずれの選択肢もなかなかコンセンサスを形成するには難しいように思います。1の選択肢を選択することは今回の事故により決定的に難しくなりました。2の選択肢は電気代の高騰を受け入れる必要があります。しかも、それによって完全にリスクがなくなる訳ではありません。過去の最大の地震に備えるという方法の問題点を今回の事故は明らかにしました。3はかなりの電気代の高騰や突然の停電といったリスクを受け入れる必要があります。4は便利な社会になれた私たちには受け入れがたいでしょうし、日本の製造業がうけるダメージもきわめて大きいものになるでしょう。程度の差はあれ電気代の上昇と生活水準の低下は避けられないように思います。